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ましおの教育観

ましおがほぼ毎日、教育ネタをどっかから拾ってきてアレコレ書いてるやつです。

新任高校教員のビックリ~教育困難校を通して~

高校

ども、ましおです。

2017.2.1に取り上げるニュースはこちら。

zasshi.news.yahoo.co.jp

トピック

 ①新任教員のイメージを覆す「教育困難校」の存在

教育困難校の必要性

③福祉領域に興味のある先生こそ「教育困難校」は面白いかも。

①新任教員のイメージを覆す「教育困難校」の存在

教育困難校という言葉はまだまだメジャーでないようらしい。この春から高校に勤務する友人と話す中で「教育困難校」というワードで今一つ盛り上がらなかった。イメージの共有ができていなかったからである。取り上げたニュースを読んでもらえばわかるが、教育困難校では勉強よりも生活習慣を育てたり、コミュニケーションの在り方を伝えたりする≪勉強以外の教育≫を必要としていることがある。「高校の先生になって、クラス全員で受験勉強に挑み第一志望を勝ち取れるようにしたい!」という意気込みは素晴らしいものであるが、それが実現できるのは先生になれるだけの学力が育むことができた彼(ら)の出身校と同等の進学校でしか実現できない理想でもある。卒業した高校だけのイメージで先生になると、配属先が教育困難校だったとき、「思っていたのと違う」となるかもしれないことを、高校教諭を目指す方と共有したい。

教育困難校の必要性

高校生になるとアルバイトができる。これは、教育困難校の生徒当人たちや保護者にとって素敵なことである。教育的側面からみても労働観を養えたりできると考えればいいことである。しかし、①家庭が崩壊し生活習慣がままならない②高校の先生ともあまり仲良くない③家庭、学校以外の他者とあまりつながっていないという3点セット環境にある生徒は、社会に出るとまぁ苦労するだろう。職場での常識が、わからないからである。そんな状態でハイティーンを越えると生活は正直、一生厳しいものになるだろう。社会的な一人間として成熟するためには、模範となる大人の存在は重要であり、その存在となれるのは現状の教育システムでは「高校の先生」になる。教育困難校の存在は、社会インフラとしてなくしてはならない、もはや強化すべきじゃないですかね。

③福祉領域に興味のある先生こそ「教育困難校」は面白いかも。

※ここから先は妄想に近いです。福祉領域を大学で学んでいる学生の就職出口として「高校の先生」もありかもしれない。特に児童福祉へのかかわりとして、イメージされるのは家庭、学校外のサードプレイスからのアプローチが大半だと思われるが、あえて学校というセカンドプレイスから関わる、もしくはセカンドプレイスからサードプレイスへの流れを作るといった過程をつくる活動もできなくないと考えた。福祉に強い先生がいたらサードプレイス側の人間としてはこの上なく活動しやすいことは確かだと思う。

 

ちょっと長めになりましたが、「教育困難校」というワードにいろんな方に触れてもらいたくてチョイスしました。興味関心ある人は、ぜひググって知見を広めてみてくださいな。ほな!